
「日本に生まれてよかった」と日本の子どもたちが言う。そんな未来のために社会のさまざまな分断をつないでゆきたい。
そう語るのは官僚と民間どちらも経験し、3度の起業も経験した異色のキャリアを持つPublink代表取締役を務める栫井誠一郎(かこい せいいちろう)さんです。
そんな栫井さんが語ったのは官民両方の経験者だからこそわかる「仕事の本質」でした。
官と民の連携を推進してゆく会社、株式会社Publink。その代表栫井さんが感じた官僚の魅力、民間との違いに迫ります。
Profile
株式会社Publink 代表取締役社長 栫井誠一郎(一般社団法人官民共創HUB 事務局長)1982年生まれ。筑駒(旧教駒)、東京大学卒業後、2005〜2011年に経済産業省・内閣官房(NISC)で勤務。官と民、両方の肌感を理解し繋げることの必要性を痛感し、2011年退職。システム受託の会社起業と、株式会社Zpeer(共同創業、CTO兼CFO)を経て、長年抱いてきた官民連携への思いを形にすべく、2018年6月に株式会社Publinkを設立。官僚数百人との繋がりや信頼関係を強みに官民共創のイベント、コミュニティ、コンサルティング、メディア事業、新規事業×新規政策のゼロセク・インキュベーションプログラムなどを推進しつつ、虎ノ門エリアでの官民共創を進めるため一般社団法人官民共創HUB 事務局長に就任。自治体向けの主な実績としては、長野県「チャレンジナガノ」プログラム事務局など。Forbes2022年8月号「日本のルールメーカー30人」選出
将来の可能性の広げた進路選択
—— 本日はよろしくお願いいたします!初めに簡単な自己紹介をお願いいたします。
栫井:株式会社Publinkの代表をしています、栫井誠一郎です。学生の皆様に向けてのインタビューということで、敢えてカジュアルに話します(笑)
中学校から6年間、筑駒(筑波大学附属駒場中学校・高等学校)と言う男子校に通い、そのまま東大に進みました。昔から数学や物理なら偏差値70とか取れていたのですが英語や国語は偏差値50を切るような学生で、東大はぎりぎり受かったという感じです。中高の時は、塾とゲーセンにしかいっていなかったのでコミュニケーション能力がとても低かったです。特に男子校の弊害で女性の前にいくと固まる感じだったので、大学時代はコミュニケーション能力を上げたいと思って、東大在学中にはテニサーに三つ入りました。最初は女性と全く話せなかったのですが、社会人3年目ぐらいには100人の合コンを主催するまでになりました。
学部4年になって研究室に入り研究していたのですが、経済産業省に入ってさまざまなことを経験したいと思い、6年半ほどキャリア官僚として働いていました。
その中で官僚のいい事と悪い事の両方見えてきたので自分の人生を悔いのないものにするために官民両方経験した上で、官民連携の会社をやって行ってきたいと思うようになりました。そこでPublinkという会社を作り代表をしています。

——理系として研究をされていたとのことですが、所属されていた計数工学科に進まれたのはなぜですか?
栫井:それは結構単純で、選択肢が限られていたというのが大きいですね。計数工学科は今では人気あるんですけど、当時はまだ人気がなくて行きやすかったんです。テニサーという新しい世界に浮かれて大学に入り、ひたすら授業をサボり倒していたので、1年の前半で11個ぐらいしか単位を取れませんでした。ただ、奇跡的に留年は逃れたのですが、点数が低くて、選択肢が非常に限られてたという理由が一つ目ですね。
もう一つ、真面目な理由としてあるのは、人生のリスクある選択の先送りという点ですね。
経済産業省を選んだ理由と共通するのですが、キャリアの進路や勉強しなくてはいけないことが自分の中でまだ定まってもいない時に狭い視野で決め打ちしてしまうのはリスクが大きく、まずは視野を広げることが出来るフィールドに身を置いて、その上で判断した方が良いと考えました。
計数工学科を選んだのも同じで、専門領域の狭い学科に入るとその後進路を考える上で選択肢が狭まってしまう。それが知らぬ間に機会損失になっているというのがすごく嫌で、広く潰しが効くようにしようかなと考えたのが計数工学科に入った理由です。計数工学科は数学・物理・情報を幅広く学習出来る学科なので、その後の選択肢も広く考えることが出来る点がとても魅力的でした。
僕の考え方やキャリアを皆さんがそのままインストールするというのは違うと思いますが、一つのケーススタディとして参考にしてもらいながら、自分なりのレールってなんだろうと考えるきっかけになることが一番大事だと思うので、「将来の可能性を広くとるためのキャリア選択」というやり方を参考の1つとして感じてもらえると嬉しいなと思います。
理系学部から経済産業省というキャリアの選択

——官僚になろうと思ったのはいつごろでしたか?
栫井:経済産業省の官僚になりたいと最終的に確信出来たのは、経済産業省の面接を受けている途中ですね。官僚を受け始めた時は、好奇心が強く、まずは門を叩いて雰囲気を感じ取ってみたい、という気持ちでした。面接を進める中で会う人みんな優秀なので面白い、これなら成長すると思い、官僚になろうと決意しました。
——そもそも、官僚(国家公務員試験)を受けたきっかけは何でしたか?
栫井:最初は好奇心ですね。理系なので周りは大学院に行くのが普通でした。ただ僕の場合は大学4年生ぐらいの時に「このまま自分の世界が狭いままで行っていいのかな。」とか「修士の2年間はだいたいこんな感じの日々になるんだろうな。」と何か想像できてしまうのがすごく嫌で、漠然と想像できないことをやってみたいという気持ちがありました。その中で日頃、テレビを見るたびに政治家や官僚に文句を言っていた父親が、子供が大学4年生になったら急に「誠一郎、官僚はいいぞ」と勧めてきて、そのギャップに逆に興味が湧いてきたんです。
——経済産業省の他に迷った省庁はありましたか?
栫井:説明会は経済産業省と文部科学省に興味があったので説明会にいきました。経済産業省がアクティブなワークショップ形式の説明会をしていることに魅力を感じ、実際に官庁訪問を受ける時には経済産業省に絞っていて、それ以外ならもう大学院みたいな割り切りをしていたので経済産業省しか受けなかったです。
——他の民間企業などへの就職はしなかったのですか?
栫井:そうですね。官庁は就活のタイミングが遅くて、内定が出たのが7月ごろでした。ただ、そこで落ちてたとしても、4年生の夏から急遽民間企業を受け始めるのは当時だと厳しいです。大学院試験もその時期から受けても1つしか残っていなかったので、実質、その選択肢も薄かったです。第一希望である経済産業省の一本狙いでした笑
——経済産業省、官僚のどこに面白さを感じていたのでしょうか?
栫井:入った理由は3つあります。一つ目は人生のリスクある選択を先送りにしたいということ、二つ目は父親が手のひら返しをしてきた好奇心みたいなところ。三つ目はやはり、成長できそうと感じたところですかね。
20代の時はとにかく成長したかったんです。新しいことをどんどん取り込んでレベルアップをしてというような。実際国を動かすというのはどのような感覚なのだろうとかも思っていました。
それと、国家公務員は1,2年で様々な部署に異動します。色々な部署で様々な業界を担当できるという話を聞いていました。
面談を受けていく中で、会う職員の方が魅力的な人が多かったのでこの人たちと一緒に仕事したら成長できそうと感じたことも大きいです。
——やっぱり官僚の人たちは魅力的でしたか?
栫井:魅力的な人が多いと思います。省庁によって採用方針も様々で省庁によって合う合わないはあると思います。経済産業省はベンチャーにもいそうな人も多いっていうイメージです。
——省庁はお堅いイメージがあったのですが、ベンチャーにいそうな人がいるというのは意外でした。
栫井:省庁の違いで言うと文部科学省や総務省等の規制が強いところは国を守るために変なリスクを取らない人が重要なのですが、経済産業省の場合は逆に新しく価値を生み出す企画力が重要です。なので、常に動き回るマグロみたいにどんどん泳ぐ人が必要で、そのような人が多いのだと思います。
栫井さんのインタビューの続きは、以下のリンクから閲覧できます。
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