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【文Ⅱ→国関→外資マーケ→留学→国際機関】自分のやりたいことをどの順番でやるか

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今回は、文科Ⅱ類から国関に進学し、卒業後はP&Gマーケティング、海外大学院留学、国連WFP、そしてJICAと様々な場所から国際協力に貢献されてきた坂本和樹さんのインタビューをお届けします。

──入学時に文科Ⅱ類を選ばれたのは何か理由があったのでしょうか?

消去法に近いかもしれません。法律にあまり興味が無かったんですよね。経済学部に進学して経済産業省の官僚や企業の経営者になるといった方面に興味があるなと漠然と思い、文科Ⅱ類にしました。

──では、その時は現在のキャリアである国際協力ではなく、経済に興味があったということですか?

そうですね。私は帰国子女でもないですし、パスポートも大学の卒業旅行で初めて作りました。なので海外の問題について全然知らなかったんですよね。大学1年生の時に中西徹先生の開発経済の授業を受け、フィリピンのスラムの問題などを聞いたのがきっかけで国関に行こうかなと思うようになりました。

──それでは、進学選択の時に迷われたのは、経済学部か国関の2択だったのですか?

その2択でした。迷ったというよりは、国関に行きたかったのですが点数が結構ぎりぎりだったんです。リスクを取って国関に出すか、経済学部に行くか迷いましたね。運動会の軟式野球部に所属して週5回くらい部活をしていたので、正直国関に来る他の人と比べても勉強量としても足りなかったのもありました。かなりどうしようかなと思ったのですが、思い切って出しました。

──なるほど。どちらに行きたいかで迷っていたというよりも、気持ちとしては国関に決まっていたということなんですね。それには何か決め手があったのですか?

先ほどの中西先生の授業が一番のきっかけですね。途上国には日本より顕著で明確な社会課題が残っていることを知り、発展途上国の知識を深めたいと思いました。加えて、中西先生はいわゆる経済学、マクロ経済学などに対して批判的な立場の方で、もともと経済学部の教授だったのにも関わらずネットワーク論や人の非合理的な行動に着目している方でした。その時の私が経済学部へ持っていたイメージは数学を使って最適解を出すというものだったのですが、その考え方では世の中が良くならないこともあるのだなと知って、経済学部ではなく国関に行こうかなと思いました。

──そうだったんですね。実際国関に入ってみて、良かったなと思ったことはありますか?

卒業してから10年ほど経った今になって一番良かったなと思うのは、人数が少ない学科だったこともあって、卒業後も繋がりが強いことです。つい先週も国関の友達に会いました。同じような問題意識を持った仲間がいたし、それが今も続いているというところが良かったなと思いますね。

また、国関の授業は課題文献を読む量が多いんですよね。必修のゼミの前に読んでくる文献が英語で50ページ程ありました。それを頑張って読んでいたからこそ、仕事や大学院で英語が出てきても抵抗が無かったことはありますね。

──国関では、途上国開発に興味がある人がほとんどという感じなのですか?

人によりますが、その方が若干多かった印象がありますね。一方で、特定の地域に興味がある人もいました。例えば、アメリカに興味があって、アメリカと日本の比較政治で論文を書いていた人もいました。また、国際政治に興味があって、日本の外交問題に興味がある人もいました。自分の代は外務省に行く人も多かったですし、法学部に興味分野では近い人もいるのかなと思います。

──そうなんですね。法学部や経済学部で専門を持つのではなく国関で学ぶ良さを教えていただけますか?

私は1つの学問に集中することで何かが学べる自信があまりなかったですね。世の中は複雑で入り組んでいるので、色々な問題を分野横断的に見ないと、最適解は出ないのかなと今も思っています。国関では国際法、国際経済、国際政治を学べるので、結果的にどれも中途半端にしかならないかもしれないですけど、途上国の問題や外交問題を様々な角度から見る訓練にはなります。そっちの方が自分の性には合ってますね。見方を決めてしまう事で他の角度から見える答えが出ない状態はあまり好きではないという思いはあります。

──国関に入って想像と違ったことはありますか?

みんなすごく勉強するなということですね。私は文Ⅰ・Ⅱのスペイン語のクラスだったのですが、クラスの中には授業に毎回は出席していない人もいたんです。一方で、国関での周りの学生は授業に行かないということはまずないですし、授業以外の時間もしっかりと勉強していました。それは良い意味でも悪い意味でもギャップでしたね。自分は運動会で4年生の7月までほぼ毎日部活があり、みんなと同じペースでは勉強を続けることはできず、そこの部分は若干のいづらさはありましたね。

でも、そのような優秀な人たちと出逢い、切磋琢磨できたのは非常によかったです。自分は卒業後に外資系企業に入ったり、国連やJICAで働いたりしていますが、間違いなく一番自分が尊敬できる人が集まっていた団体は国関だったなと思っています。

【文Ⅱ→国関】「国関は多様な視点から物事を眺める場所」~坂本さんインタビューvol.1~

──なるほど。先ほど運動会のお話もされていたかと思いますが、部活は大学1年から4年までずっと続けられていたのですか? 全国大会にも出場されたと伺っています。

そうです。2年生の時に創部以来初めて全国大会に出場し、その翌年も出場することができました。練習は週5回くらいのペースでやっていましたね。

──部活をやっていて良かったなと思うことはありますか?

勝つという明確な目標に向けて限られた時間や能力をどう使っていくかという戦略を作ったり練習メニューに落とし込んだりという経験が、特に民間セクターでビジネスをするときにかなり近いものを感じました。東大生で運動能力自体は必ずしも高くない中でどう知恵を絞って勝つかというところはビジネスに役立ったなと思います。

【文Ⅱ→国関】「国関は多様な視点から物事を眺める場所」~坂本さんインタビューvol.1~

──ありがとうございます。では、逆にこれをやっておけば良かったなと思う事はありますか?

これは運動会での部活とトレードオフなんですけど、学科の同期の半分ほどがしていた留学はしたかったですね。また、海外NGOやスタートアップでのインターンもしておきたかったです。特に途上国のNGOでのインターンをしておくとその後のキャリアの見え方も変わって来るだろうですし、何となくのイメージでキャリアを進めるよりは現場を見ておきたかったなと思いますね。

──学生時代には坂本さんはどのようなキャリアを描いていらっしゃいましたか?

もともと経営者になりたくて文科Ⅱ類を選んだこともあって、会社の経営は興味がありました。また、途上国の問題にも興味がありました。加えて、父が公務員(消防士)ということもあって、自分が育った地元で政治をしたいとも思っていました。就活の時には、この3つが人生でしたいことだなと思い、どの順番でやっていくかを考えました。色々調べていくと、最初からNGOに入って国際協力をした人はそこの業界にしか残れないことが多く、最初は民間企業に入って力をつけて国際協力に入って、民間に戻ったりして最後に政治をするのがフローとしては良いのかなと思いました。それで民間の就活をしましたね。

──やりたいことが3つであるとか、その順番をどうするかなどはいつ頃から考えていたのですか?

やりたいことが3つというのは就活前には決まっていて、順番は就活をしながら考えました。なので官庁もセミナーに行ったりして考えましたね。官庁に入って政治家になってから国際協力もあるのかなと思いましたが、政治は先にやらない方が良いなと思い、そこは情報を見ながら考えたという感じでしたね。

──就活自体はいつ頃から始めたのですか?

私は3年生の12月とかでした。少し遅かったと思います。サマーインターンシップにも行かなかったですね。運動会に入っていてあまり就活の雰囲気ではなかったこともあって……。ただ、それよりも2,3か月前からセミナーなどには行っていたとは思います。

──そうだったんですね。ご自身のキャリアについて考え始めたのは早い方でしたか?

あまり早い方ではなかったと思います。確か国関の同期が3年生の10月ごろに戦略コンサルの内定を取ったと知り、その頃焦って始めたのが正直なところでしたね。

──そうなんですね。それでは、進学選択の時にキャリアまでセットで考えていたわけではなかったということですか?

はい、どちらかと言うと自分の興味分野で考えていました。キャリア自体は3年生の秋くらいの時期だったかと思います。今振り返るともっと早い方が良かったんだろうなとは思いますね。

──というと、就活の時期はかなり忙しかったのですか?

そうですね、部活の中では大学院に行ったり留年する人が多いので、4年で卒業する人が半分もいないんですよね。自分が一番時間を過ごしたのが部活の仲間だったので、キャリアに対してあまり早めには考えていなかったなというのがあります。

──3年生の秋から考え始めたという事ですが、企業を選ぶ際にどういう基準を意識していましたか?

グローバルで働ける(若いうちに海外で働ける)というのと、若い時に裁量権を持って動けるという2つを見ていました。いつかは国際協力の世界に行くと決めていたので、グローバルで働ける会社に入りたいと思いました。また、同様の理由から、最初の会社には長くても30歳までくらいしかいないと思っていました。その間の学びを最大化するには裁量権がないといけません。以上の理由から、グローバルで働ける(若いうちに海外で働ける)というのと、若い時に裁量権を持って動けるという2軸がありました

──P&Gマーケティングを選ばれたのはその2つの良さだったということですか?

そうですね。総合商社も考えましたが、配属でどこに行けるかわからない部分がありました。一方で外資系ですと部門別で採用されるので、マーケティング部門に入れると5年目くらいまでに半数の人が海外に行けるんですよね。そういう情報を社員の方から聞いたりして決めました。マーケティングという分野に関しては、海外に行きやすいポジションという認識を持っていました。

──そうなんですね。P&Gではマーケティングをなされていたと思うのですが、その仕事内容自体は入社時に意識されていましたか?

入社した時には、P&Gが途上国支援をしていることは知っていました。グローバルで仕事ができる点に魅力を感じていたので早めに海外に行けるように上司に伝えてもいました。ただ、就職活動をしていた時にはマーケティングが途上国にどう関わるかという意識はしていなくて、正直ファイナンスという職種でも途上国ビジネスに関わることはできるので、途上国に行ってビジネスができれば良いなくらいのスタンスでした。

──なるほど。P&Gでは、日本で勤務された後シンガポールに行かれたんですよね。

はい。3年目から3年弱シンガポールにいて、入社5年目の途中で帰国、昇進をしその後は日本に2年半くらいいました。

──具体的なお仕事としてはどのようなことをされていたのですか?

洗剤や柔軟剤のブランド作りを主にしていました。売上・利益が出るように設定したり、広告代理店の方とCMを作ったりパッケージデザインを作ったり、今思うと気持ち悪いぐらい洗剤と柔軟剤のことをやっていました(笑)。

【国関→外資マーケ】「自分のやりたいことをどの順番でやるか」~坂本さんインタビューvol.2~

──なるほど(笑)。坂本さんはその後P&Gを辞めていらっしゃいますが、今P&Gでの仕事も国際協力の1つの在り方なのではないかと思いました。P&Gに残ろうとは思わなかったのですか?

それは少し迷いましたね。退職直前に、中東とアフリカの戦略拠点であるドバイでの仕事を次のアサイメントとして依頼されていました。それはそれで面白そうだなと思っていました。ただ、P&Gはアメリカ資本の会社で株主の主張が強いんですよね。株主は企業に対して短期的な利益を挙げるように圧力をかけることもあるんです。結果として、例えば東南アジア諸国のビジネスはやはり首都付近の富裕層がメインターゲットになりますし、途上国開発を主目的に働くのであればP&Gでは考え方が合わないと思い、上司と話し合って辞めることにしました。P&Gは国連とパートナーシップを組んだりSDGsにも力を入れている企業なのですが、やはり主目的はビジネス(利益の最大化)なので違和感を感じたところはありました。もともとのキャリアプランにあった、国際協力をやるのには修士号を取ってから入るのが良いかなと思い、退職前に大学院に出願しました。

──そうなんですね。国際協力のキャリアで修士号が条件というのは聞いたことがあるのですが、就活をせずに学部から院進するパターンもあると思います。学部時代、院進を考えたりしていましたか?

正直なところ、国関の勉強が大変だった反動で一度勉強から離れようと思って院進は考えませんでした。ただ、国連やJICAにいる人でストレートで修士号を取っている人は特に日本人では多いですよね。

──そうなんですね。それでは、留学先としてサセックス大学院を選ばれた理由を教えていただけますか?

開発学ではアメリカとイギリスが有名なんですよね。加えて、ヨーロッパでは修士が1年で取れるので、早く終わらせられるし学費も比較的安いイギリスに絞りました。サセックス大学院を選んだ理由としては、大学院の位置するブライトンという田舎町は天気も良く比較的温暖で、雰囲気も好きだったというのが1つです。また、開発学の大学ランキングでサセックス大学院は世界1位だったんですよね。評価の高い大学院に行けば問題ないだろうと思ったのも理由です。

──なるほど。そこでは授業はすべて英語ですよね。英語面はP&Gで鍛えられたのですか?

はい。P&Gの1,2年目で鍛えられました。P&Gでは日本のオフィスでも外国人の方が勤務されていますし、ミーティングの資料やメールも英語なんですよね。そこでなんとか身につけてシンガポールに行ったのですが、現地の英語はまた異なる部分があって困りましたね。3年滞在して身につけて帰り、留学のために必要なIELTSのスコアは1回で出たのですが、本場であるイギリスの英語はアジアの英語と全然違うんですね。スピードは速いし慣用句も多いし、行ったら行ったで困りましたね。

──大学院ではどのような勉強をされたのですか?

私は開発学部 (Institute of Development Studies)で「開発とビジネス」というコースに所属していました。民間セクターを活用してどのように開発効果を最大化するかがメインのテーマでした。政府の立場から見たときに、例えば産業政策についてや金融セクターの規制はどうしたら良いかなどを扱いました。必修と選択の授業があり、興味のあった栄養については選択科目で勉強しました。それは後々国連WFPの面接で役立ちましたね。他のコースの授業も取っていましたが、他のコースはジェンダーと開発や気候変動と開発などだったので、色々学びつつも全て開発学の中に収まっていたという感じでした。

The Institute of Development Studies (IDS) is a global research and learning organisation for equitable and sustainable change. | Institute of Development Studies

──なるほど。論文執筆後に国連WFPにお勤めになったと思いますが、そう考えたのはいつ頃だったのですか?

2020年の2,3月ですね。外務省のJPO派遣制度を利用して国際機関で働こうとを考えていたので、修士論文を書き終えて修士号をもらえるまでは、JPOに繋がることをしようと思いました。それまでの民間企業のキャリアだけでは国際機関で正社員として働く経験が足りていないと感じ、国連のインターン・コンサルタント(契約社員)やJICAでポジションを探していました。偶然、コンサルタントを国連WFPの日本事務所が募集しており、面接をして無事採用されたので勤務を始めました。国連WFPでの仕事内容は、日本政府とパートナーシップを強化し、WFPへのODA (政府開発援助)の拠出金を最大化することでした。

United Nations World Food Programme – ja.wfp.org

【海外院への留学と国際機関勤務】「途上国での経験を求めて」~坂本さんインタビューvol.3~

国連WFPは憧れの機関で、在籍中にノーベル平和賞を受賞することも出来て、非常に楽しかったのですが、途上国での経験を積みたいと思い、JICAの企画調査員という2年契約のポジションに応募しました。2021年の1月からインドネシア事務所に所属し、ビザが発給されるまでの数ヶ月間の日本からの遠隔勤務を経て、現在ジャカルタに在住しています。

──インドネシアの勤務はどのような内容ですか?

「中小企業・SDGビジネス支援事業」と「草の根技術協力事業」という、日本の企業・NGO・地方自治体・大学がインドネシアで事業をするための支援をしています。具体的には応募案件の審査をしたり、採択された企業・団体へのコンサルテーションや、JICAのネットワークを生かして彼らをインドネシアの省庁や地方自治体へ繋げたりしています。その結果、日本の企業・団体のビジネス拡大や事業成長を通して、インドネシアの開発課題を解消していくことを狙ったものになります。

中小企業・SDGsビジネス支援事業について | 支援メニュー一覧 – 民間連携事業

草の根技術協力事業 | 事業ごとの取り組み | 事業・プロジェクト

──ありがとうございます。今までのお話でも、坂本さんは様々な場所で活躍されていると思うのですが、1つの企業から離れるということに何かハードルのようなものを感じたりすることはなかったのでしょうか?

そうですね、会社を辞める日は感傷的なものがありましたね。P&Gには7年勤めていたので思い出もありました。一方で、外資系の企業ということもあり、私が辞める時には同期の半分以上が辞めていたので、決してマイノリティではないのだなとも思いました。

──なるほど。この後のビジョンとしてはどのようなものを考えていらっしゃいますか?

この後はJPOで国連に入りたいと思っています。その後何年勤務するかはわからないですが、自分が一定の価値を出せたなと思えるところまでいようかなと。その次は民間に戻って経営者に近い仕事をしたいなと考えています。中小企業やスタートアップでも良いので、P&Gで感じた「社会性や公共性の実現とビジネスの共存」が達成できたらなと思います。JICAでの「中小企業・SDGビジネス支援事業」のように、民間企業に途上国に来てもらってビジネスもするし、結果的に開発課題の解決にも寄与するというスキームがあるということは、それはきっと実現不可能なことではないと思っています。今は企業を支援する立場ですが、いつかそれを実行する立場に立って、感じていたわだかまりを解消するようなビジネスをやりたいなと思います。

──なるほど。国際協力にも現場への近さにおいて幅があると感じているのですが、坂本さんとしては最終的には事業として現地に入っていく部分に力を入れたいということでしょうか?

自分が独自の価値を出せるかを大事にしています。大きな組織に入るとシステムが整っており、誰がやっても似たような結果が出るのではないか思うことも多いんです。自分がやるからこそ前任者よりもプラスの価値が出せるところにいたいと思っています。国連WFPやJICAに勤務してわかったのですが、公的機関には民間企業でのビジネス経験を持っている人は少ないんですね。そうなると私が力を出せるのは民間連携で、そこで企業からの技術や資金を国際協力に生かしていくことに貢献できたらなと思います。ただ、民間に戻ったらマーケティングなど、ビジネスを最前線で進めていくポジションで携わりたいなと思います。

──坂本さんのお話を聞いていて、ご自身の強みを明確に意識していらっしゃるなと感じたのですが、強みというのはキャリアの中で形成されていったのですか?

そうですね、キャリアの中で気づいて作っていったものだと思います。強みというと、人と比べて相対的に出来る/出来ないというのと、自分の中での得意不得意と2種類ありますよね。私が今言っていたのは前者で、人と比べてどうかというのはP&G、国連WFP、JICAと複数の場所で実際に働いてみて実感しました。

自分自身の得意不得意で言うと、これもやってみて気づくことではあるのですが、私はお金稼ぎだけするのは嫌いなんだなと気づきました。これに関してもP&Gでの仕事を経験してきて気づいたことだなあと思います。

──ありがとうございます。今後のビジョンについて、最後は政治にも触れるとおっしゃっていたと思うのですが、政治にはどういう点から興味があったのですか?

地元で長年公務員(消防士)をしている父の影響ですね。父から仕事の話を聞いていたこともあり、市という単位が、消防などのインフラを含んできちんと機能するためには正しく予算が配分される必要があり、その意思決定の部分に関わりたいと高校生の頃から思っていました。ただ、それが大学やそれ以降のこれまでのキャリアと結びついているわけではないと思います。

実は、国連WFPやJICAの仕事もあまりP&Gでの学びを行かせているとは言い切れないですね。業界や職種もかなり違いますし。自分としてもひとつの樹を伸ばすのではなく、別々の樹を植えている感じなんです。政治に関しても、50代くらいから種を植え初めて、咲くのは60代かもしれないですけど、長い人生なので、1本の樹をずっと育てるよりも、色々な樹を育てた方が、色んな色の花が咲いて、死ぬときにはより綺麗な景色に見えるのではないかなと思ってます。

──なるほど。沢山の樹を育てるという生き方や価値観は新鮮ですね。それでは最後に、この記事を読んでいる東大生に向けてメッセージがあればお願いします。

社会人になったら気づくと思うのですが、東大はとても優秀な人が集まっている場所です。どんな団体に入ってもここまで優秀な人が集まっているコミュニティはかなり珍しいと思います。そんな場所で共に学び、友だちと一緒に過ごすことは今みなさんが思っているよりもとても貴重な時間なので、大切にしてほしいです。進学振り分けでの進路選択については、キャリアに繋がるかという考え方のもあるかと思いますが、こういう仲間と学びたい・こういう分野を学びたいということを優先したほうが、長い目で見たら結果的にはきっと良いのではないかと思います。

──なるほど。私自身進学選択を目前に益々迷います……(笑)。

そうですよね。でも、いろんな選択肢がありますけど、みなさんは受験で基礎学力も努力する力も身につけているので、何を選んでもその後正解にできると思います。迷って決めたらその道に進むだけで、みなさんであれば、どの道を選んでも大丈夫だと思います。悩みすぎない方が良いかなと思いますね。

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