インタビュー・レポ

【文Ⅰ→法学部→法科大学院】法律の専門家として国際的に働くキャリアとは?

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今回は、文科Ⅰ類から法学部に進学し、法科大学院を卒業された後、弁護士として法律事務所だけでなく金融庁や経産省でも勤務され、国際的に活躍されている羽深宏樹さんのインタビューをお届けします。

──文科Ⅰ類を選ばれた理由は何だったんでしょうか?

正直、大学入試の時点では将来何になりたいというビジョンが決まっていたわけではなかったんですよね。

そんな中で文科Ⅰ類を選んだ大きな要素は2つあって、まず1つには自分には文系科目の方が向いているという感触があったからです。もう1つは、当時、法科大学院(ロースクール)ができたばかりの時期だったことが関係しています。

それまで弁護士になるには司法試験で合格率約2%の中を突破しなくてはならないという狭き門だったのが、間口が開いて法律の専門家になりやすくなるという、そういう雰囲気でした。

私もロースクールが法学部の中でも重要なオプションになると聞いていて、法律分野で専門職を目指すのも可能性の1つとしてはあり得るかなと思って進学しました。

──そうだったんですね。それでは、入学後に前期課程の法律の授業(準必修など)を受ける中で、法学を専門にすることを決めていったのですか?

そうですね、本音を言ってしまうと、実際に勉強してみても、正直自分が法律が好きかどうか確信を持てない部分はありました。進振りの時には「これがやりたい」というビジョンがなかったので進学先を決めるにあたってはあまり悩ませんでした。

しかし、3年生で法学部に進学したときに初めて法律の勉強に真面目に取り組んで、奥が深い学問だと思った反面、これを極めていくのが自分の一番やりたいことかというと確信が持てないというのが正直なところでした。

そんな中で、自分が今何になりたいのかというビジョンがないのであれば、それを正面から受け止めて、将来の選択肢をより多く残す道に進もうかなと思ったんです。そうすると、資格を取っておけば将来どういう仕事をするにしても役に立つだろうと思いました。また、資格を取る過程で自分のやりたいことが見えてくるかもしれないなと考えてロースクールへの進学を決めました。

──なるほど。法学部についてお伺いしたいのですが、法学部の雰囲気は「砂漠」だとよく聞きます。実際、どうだったんでしょうか?

砂漠です(笑)。何もしないと砂漠になると言った方が正確かもしれませんね。私は法学部に進学したのが15年ほど前なので、当時と今とでは状況が変わっていると思いますが。当時は法学部の授業というと大教室で教授が講義をして、学生は言われたことを咀嚼して、あとは自分で実際のケースに適用できるようになる訓練をするというものでした。

そうすると、少なくとも予備校などに通っていない学生は、講義を聞くだけならともかく実際に事例に適用する際に「一体何をどうすればよいのか」という壁にぶつかるんですよね。法律は最初から最後までパッケージで1つの体系を成しているので、パッケージ全体を使って考える事例について、ある部分だけ学んでいても対処できないんです。

どうやって事例を解決するか、どうやってテスト問題を解くかを考えた時に、授業を聞いたり本を読んだりしているいるだけでは不十分で、おそらく仲間を作って練習問題を解き、法律の理解・解釈・適用の仕方や結論の導き方、さらにそれをどうやって答案という形にまとめるのかを仲間同士でやっていかないと、どんどん置いていかれて孤独になってしまうというのが法学部砂漠の実態だったのだと思います。

──そうなんですね…実際に羽深さんはどういう生活でしたか?

砂漠でしたね(笑)。さっきの話は今だからわかることで、当時は本を読めば勉強は大丈夫なものだと思っていたんです。授業もあまり予習はせず出席していた程度でしたので、置いてけぼりになった気分がして、正直学部時代はきつかった面はありました。

【文Ⅰ→法】「弁護士への間口が開いた時期」~羽深さんインタビューvol.1~

──法学部で面白かった講義や印象に残っている講義はありますか?

金融法のゼミは面白かったです。大崎貞和先生という実務家の先生のゼミだったのですが、国際的な議論に焦点を当てた講義で、アメリカやイギリスでの金融規制の事情について海外の文献を読みながら学んでいくというもので、世界に視野が広がるという点が興味深かったです。加えて、そのゼミがかなり少人数で5~6人くらいだったので、ディスカッションなどがきちんとできて仲も深まりました。

インターネットがなかったころの勉強は知識の量に価値があったと思うのですが、今の時代は知識の背景にどういうことがあるのかを考える方が重視されると思うんです。

そういう力をつけるにはやはり少人数スタイルの双方向的なディスカッションによって問題を立体的に分析することが重要だと思いますね。

──ロースクールを意識して法学部に進学されたとおっしゃっていましたが、学部時代にダブルスクールなどはなされましたか?

しなかったですね。予備校に通う時間があったら、テストには関係ないかもしれない先端的なことを勉強できたらいいなと思っていました。ただ、試験に受かるという目的のことだけを考えるなら、予備校は行った方が確実だとは思います。

 ──そうだったんですね。私も2年生で法学部の持ち出し科目を取っているのですが、そこで教授が効率から言えば予備校の方が良いとおっしゃっていました。

そうなんですよね。試験は全員を同じ物差しで測って点数をつけることしかできないので、それに向けた点の取り方を学ぶには、それに特化したプロから教わった方が効率が良いのは事実だと思います。

一方で、大学というのはその物差し自体が本当に正しいのかを疑う場所だと思うんです。たとえば今ある制度が本当にありうべき制度なのかとか、その背景にはどういう歴史的経緯があって、だから目の前にある課題にはどういう解決策を持ってくるのが最善かということを学問的に掘り下げて探求していくというのが大学での学びだと思います。

つまり、大学ではこれまでの常識に挑戦するという事なんだと思っていて、それは常識を測る試験とは根本的に相いれないと思っています。

ですので、試験に受かるという目的のために予備校に行くのは意味のあることだと思いますし、ただそれだけで大学生活が終わってしまうのも勿体ないことだと思います。

──なるほど。それでは、学生時代にやっておけばよかったことはありますか?

英語ですね。今の時代、英語ができないと世界に出ている情報のほとんどが得られないですし、大多数の人とコミュニケーションができないということになります。今は翻訳アプリなども充実していますが、それでも超えられない壁はあると思うんです。コミュニケーションでは自分で表現しないと伝えられないことが絶対にあるので、英語は早いうちにやっておいた方が良いと思います。

──それでは、ロースクールについてお伺いしたいと思います。学部とはどのような違いがあったのでしょうか?

そうですね、まず授業のスタイルが全く違います。一方向的だった学部と違って、ロースクールはディスカッションをしながらの双方向的な授業が基本でした。教室のサイズも、法学部は400人規模ですがロースクールは50~60人程度と小規模になり、1人1人にマイクが回ってくるという状況でしたね。学部では基本的に教授が説明する学説や判例をその場で聞いてノートを取り、後で復習というスタイルでしたが、ロースクールでは判例や条文といった調べれば分かるものは自分で予習してくるというのが前提でした。授業では判例の根拠や妥当性、歴史的整合性を議論しました。つまり、今あるものを学ぶのではなく、それを掘り下げて理解を深める場所でした。実務では目の前の新しい課題に対して、過去の条文や判例と照らし合わせてどう解決するかを考えるんですよね。そのときに当事者が納得できる形での解決をしなければならないけれど、納得重視でフィーリングでやってもいけない。事案の解決としての妥当性と過去の判例との整合性を両立させるような解決策を作らなくてないけないんですね。そういう意味で、ロースクールでの学びは実務に非常に近かったです。それを2年間やったので、ディスカッションする能力やプレゼンする能力、論理的な文章を書く能力は凄く鍛えられたと思います。大変ですが、その分理解も仲間同士のつながりも深まります。みんなで課題を解決していくというロースクールでの学びはとても楽しかったです。

──あまりイメージがつかないのですが、ロースクールの生活は学部よりも授業関連に打ち込むような状況になるのですか?

そうですね、予習にかける負担は大きかったです。週末も次の週の予習をしていました。ロースクールの成績はその後の留学や就職に響いてくるので、成績も取らなければならないというプレッシャーもありました。他方で、ロースクールでの学びと無関係ではないけれども、直接対応しているとも言い切れない司法試験を卒業直後に受験するということもあったので、忙しかったですね。

──無関係ではないけれども直接対応しているとも言い切れない、と言いますと?

判例が出発点で、その妥当性を疑ったり、より良い解決策を考えたりするのがロースクールでの学びであるのに対し、判例や定説を知っているか、それを使って判例を解決する力があるかを測るのが司法試験です。実務は基本的に判例や定説をベースに回っているので、日々の課題を判例や定説をもとにして解決していくという意味では、実務は司法試験に近いかもしれません。どちらが良い悪いではなく、性質が違うということだと思います。

──なるほど。ロースクール卒業後のキャリアなどについては、どういうことを考えていらしたのですか?

消去法で考えていました。自分の性格的に刑事事件は向かないと思い、検事ではないなと考えました。裁判官については、自分の専門的知識と経験を活かして、国家の判断として判決を下すというのがすごく魅力的に感じました。でも、日本の裁判官の場合、基本的に裁判所の外に出ないんですよね。つまり、生の事実を集める仕事は弁護士や検事がやり、裁判官は裁判所に持ち込まれた証拠書類を見て判断するという仕事で、それが最後までひっかかっていました。色々な場所に行って生の事実を体験するのが好きな性格だったので、外から来る証拠を見ながら判断を下す裁判官を考えたときに、もう少し外の世界を飛び回りたいと思い、弁護士かなと思いました。

──なるほど、そうだったんですね。

はい。加えて、ロースクールの1年目でサマースクールがあり、日本の大学生、社会人やアジアを中心とする海外からの留学生が国内のホテルに泊まり込みで外国法を学ぶプログラムを受けました。そこで、留学生の人たちと一緒の場で会話をするのがすごく楽しく、国際的なことができたら楽しいなと感じていたんですよね。それもあって、弁護士、特に渉外案件など国際的な案件を扱える場所で働きたいなと思いました。そうすると大手の事務所に入るのが良いかなと考えました。大手の事務所だと様々な案件があるので、自分の専門を決める前に色々なことが見られるかなと思ったこともありました。

──現在に至るまで海外で非常にご活躍されていると思いますが、その転機は何だったんですか?

ロースクールを卒業する時にあった、1か月間海外でインターンをさせてもらえるプログラムです。それまで海外経験はなかったのですが、応募して1か月間パリに行ったんですね。そこでの法律事務所のインターンがすごく充実して楽しかったです。パリに行くということだけでも視野が広がりましたし、さらにブリュッセルの欧州委員会の競争法に関するヒアリングにも同席して、大きな会議を見て、単純にかっこいいなと思ったんです。国際的な案件に対して各国から関係者が集まって議論するという、日本にいるとどうしても見づらい部分が見られて、国際的な舞台への憧れを強くして帰ってきました。

──なるほど。それはとても貴重な経験をされたんですね。

はい。ロースクール卒業後、今度は1か月ではなくもっと長い期間、海外、それも国際機関に行きたいと思いました。というのも、インターンで見たEUでの欧州委員会によるヒアリングがとても印象に残っていて、時間があればもっと重厚な経験ができるのではないかと思ったからです。国際機関で自分が行ける場を考えたときに、ロースクール時代に取っていた国際法の科目がWTO法だったので、じゃあWTOにしようということで応募しました。当時は知らなかったのですが、国際機関のインターンってすごく倍率が高く、当時でも200~300倍くらいだったみたいなんです。私はそんなことも知らず、応募して返事を待っていたのですが連絡は一向に来ませんでした。そんな中で、私の応募が国際機関で働く日本人の方の目に留まったようで、その方が本気で入りたいのならば直接アプローチをかけないと難しいことを教えてくださいました。それを受けて外務省の人やWTOの方とお話をして自分のやりたいことなどをプレゼンしました。それでも一向に連絡は来なかったのですが、ほとんど忘れかけていたころに採用通知が届き、3週間後からスイスのジュネーヴで勤務と知らされて慌ててジュネーヴへ飛んで半年間インターンをしました。

──凄く急なんですね。そこでの半年間は羽深さんにとってどのようなものでしたか?

自分の人生の1番の転機になりましたね。まず、世界中から集まってくる自分と同年代の非常に優秀な人達と交流を持つことが出来たのが大きかったです。

一方で、自分の国際舞台での価値のなさに愕然としました。英語がうまく使えない時点で自分の意見を伝えられないし、他の人たちの話が分からないという語学の壁がありました。

また、専門知識という面でも、日本の法律知識は国際舞台ではおよそ通用しません。誤解がないように補足すると、知識自体は役に立たなくても頭の使い方や論理の組み立て方や主張の伝え方は凄く役に立ちました。一方で、海外から来ている同僚のインターン生はWTOの法律の専門知識を持っていて、それ以外にも金融工学や環境学といった他の分野のバックグラウンドを持っていたんです。自分は世界の中では全然かなわないと痛感したのが大きな気付きでした。ただ一方で、言葉も専門知識もかなわないけれども、自分だからこそ出せる価値があるのではないかと感じたのも事実です。これは専門知性とは違う話ですが、色んな人を招いてコミュニティをつくり、大きな人間の輪を作るのは自分が活躍できるフィールドなのではないかと感じて、語学と専門知識さえつければ闘っていけるのではないかと思ったんです。

──インターンから帰国されて、その後はどのようなことをされたのですか?

帰国後は1年間司法修習をしました。その後法律事務所に就職し、弁護士になってからは2年半ほど主に海外の企業買収(M&A)案件を扱っていまいた。なかでも3か月間はシンガポールオフィスで勤務しました。国内案件より海外案件の方がやっていてワクワクしましたね。日本企業が海外に出ていくのをサポートするのも楽しいですし、逆に海外のビジネスが日本に入ってくるのをサポートするのも面白かったです。いずれにしても国境を超えてサービスや価値が移転する現場に立ち会うというのはとても楽しかったです。

──弁護士になった後に、取り扱う専門領域はどのようなタイミングで決めるのでしょうか?

事務所によるのですが、私の事務所の場合には、最初の1年は色々な分野を経験して、それ以外にも手を挙げれば案件をやらせてもらえる場所でした。私は通商法をやりたいと伝えたところ、勉強会を立ち上げさせてもらえたり論文を書かせてもらえたりしました。好きなことをやっていく中で何をやりたいのかを探っていって、国際的な案件についてM&Aを中心にやっていました。

──なるほど。その後金融庁に行かれたのは出向という形だったのですか?

そうですね、事務所から声がかかりました。コーポレートガバナンスを専門にやる金融庁の部署が人を募集していて、コーポレートガバナンスというものにはもともと興味があったのと、2年半やってきた弁護士の仕事とは別の角度から物事を見てみたいということで行くことにしました。

コーポレートガバナンスって法律ではなくて、上場企業に対して「この原則を達成するために自分たちで上手くやってください」と指示するものなんですね。企業側はその原則を遵守するか、しない場合はその理由を自分たちで説明するというモデルなんです。決まった法律を破ると制裁があるというハードローではなくて、原則を守っている方が株主からの評価を得られるし、企業や社会全体の利益に繋がるというソフトローなんですね。それをどうやって実務に回していくかを考えていました。

もう一つは、EUとのEPA(経済連携協定)の条約の中でコーポレートガバナンスに関する章を世界で初めて作る仕事をしました。条約に何を入れるかの交渉をするためにブリュッセルのEU本部に行き、一語一句ディスカッションしながら決めていきました。大袈裟ですけど世界に影響を与える仕事をしている実感があったし、EUの交渉官とも仲良くなれて人の輪が広がる感じがして、とても楽しかったです。これは政府の中にいないとできない仕事だったので、良い思い出です。

──そうだったんですね。金融庁で勤務された後はスタンフォード大学ロースクールに奨学生として行かれたんですか?

私の場合は早く外国に出たいと思っていたので、このまま留学しようと思ったんです。もともと通商法に興味があったのですが、これからの貿易はモノの貿易ではなく、国境のないサイバー空間における情報の貿易がメインになると思っていたことがあり、「デジタル×トレード」という分野に携わってみたいと思ったんです。ちょうどその時に、スタンフォード大学で「International Economic Law, Business & Policy」というコースが開講されるという話があり、シリコンバレーの中心地でトレードを勉強するというのが、これはまさに自分がやりたかったことだと思ったんです。この時期から今の私の職業に繋がる流れになっていて、デジタル政策などはこのあたりから意識するようになっていました。

──日本のロースクールを出ていても海外のロースクールにも行くというのはどのようなメリットがあるのですか?

実は、日本の大手の事務所の弁護士の多くは海外のロースクールに留学するんですよね。日本の司法資格を持っていると向こうのロースクールを1年で卒業でき、アメリカの司法試験も比較的受かりやすいというので行く人が多いです。私の場合スタンフォード大学で良かったなと思うのは、日本のロースクールとかなりスタンスが違ったところです。日本のロースクールは双方向的なディスカッションの中で、過去の判例と条文を見て目の前の課題を解決するんですが、根底にはこれまで積み上げてきた条文解釈や判例などとの整合性を極めて重視します。他方、スタンフォード大学の場合は、これまでなかった技術が日々作られていくシリコンバレーに立地していることもあり、先例との整合性の他に新しい物に対してどのようなルールやシステムを作るかをゼロから議論することが多かったです。そういうのはとても未来志向的、シリコンバレー的で面白かったです。

【裁判所に行かない弁護士】法律の専門家として国際的に働くというキャリアを歩む~羽深さんインタビューvol.4~


──ロースクールを卒業後はパリで勤務されたのですよね?

はい。外国法弁護士という形で、日本法の専門家として1年間滞在しました。留学後の1年間外国の法律事務所に勤務するというのは、日本の大手の事務所ではよくあることなんですよね。

現地企業のクライアント向けに日本法の説明をしたり、逆に日本企業のクライアント向けにEU法やフランス法の資料を翻訳したりしました。

──なるほど、そうなんですね。パリに勤務された後は事務所へ戻らず、経産省へ行かれたのですよね?

はい。パリに勤務していた当時は、ちょうどGDPR(一般データ保護規則)というEUの個人情報保護法のようなプライバシーの法律が施行される直前のタイミングでした。この法律はプライバシーデータの取り扱いに関する手続き上の義務が詳細に定められていて、違反した場合には多額の制裁金がかかるという法律なんです。EU域内の個人データを扱う企業であれば、EU外の企業であっても適用される場合がある法律であり、その対応で世界中の企業があたふたしていた時期でした。個人情報は保護すれば保護するほど良いものと思われがちですが、制限をかけすぎるとかえってイノベーションが進まなくなってしまうという点で負の側面があるので、バランスが必要とされているんです。EUの法律はかなり詳細にルールを決めて制裁を科すモデルでしたが、そうした環境でシリコンバレーのようなイノベーションが出てくるのか疑問がありました。このような気付きがあり、そのまま事務所に戻るのではなく、デジタル化社会における未来を見据えた根本的な制度作りの仕事をしたいと感じました。その時に経済産業省のデジタルプラットフォーム政策を扱うポストが人を募集していたので、帰国して応募しました。

──現在(2021年)もそこに勤務されているんですよね。具体的にはコーポレートガバナンスを推進する政策作りをなさっているのですか?

経産省では、コーポレートガバナンスにとどまらず、社会全体のガバナンスの仕組みをデザインし直すということを検討しています。これまでの制度改革は法律の中身をどう変えるかが議論されていたのですが、社会はものすごく速いスピードで変化して日々新しい技術が生まれているので、リジッドな法律体系だと新しいイノベーションを殺してしまうというデメリットもありますし、一方で新しいリスクに対してそれを規制できない、コントロールできないという課題もあるんです。達成すべきゴールを定めておいて、それをどう達成するかは企業に委ね、企業としてはリスクマネジメントのルールやモニタリング手続きを自分たちで定めてそれを社会に説明するという水平的なガバナンスモデルが重要になると思うんです。規制の在り方や企業のガバナンスの在り方を社会の変化に合わせられるように組み替えていく「アジャイルガバナンス」というモデルを提唱し、世界各国の規制当局や国際機関の方々とも連携して、グローバルに発信しています。

──そうなんですね。弁護士という仕事について、裁判所で既存のルールを当てはめて紛争を解決する仕事だと感じていたのですが、今日のお話を聞いて、社会の変化に合わせて制度をつくりかえていく部分にも必要な仕事だと知りました。羽深さんの考える弁護士という仕事の魅力について、お聞かせください。

職業としての弁護士と資格としての弁護士は分けて考えるのがよいと思います。職業としての弁護士というのは、例えば民事事件や刑事事件のために法廷に立ったり、企業の代理人として契約交渉したりするイメージですね。弁護士資格保有者の多くはそういうお仕事をなさっていると思います。一方で、資格を持っていればできる弁護士以外のことも色々あるんですね。例えば私は霞が関に弁護士資格保有者として入っていったし、海外に行っても資格があるから信頼してもらえるというのが少なくとも入口のところではあるんですよね。それから企業内弁護士の方も、法律の知識を活かしつつも経営や事業戦略などといった必ずしも法律に限られない分野で活躍されている方もいらっしゃいます。さらに、起業して自分がイノベーションを生み出す主体となってサービスを生み出す仕事をされている方もいます。社会の色々な場面で弁護士資格やそれを取るためにした勉強が役に立つことがあると思います。

──なるほど。職業としての弁護士にならずとも、司法資格を取るのは糧になるんですね。

そうですね。弁護士資格を取るための勉強とは、論理的な文章を書くことだと思うんですね。過去の判例や法律はツールとしてありますけど、本質的には社会をよりよくするための方法を論理的に組み立てて説明するというのが弁護士の能力が活かされる場面だと思うんです。そこまで抽象化すると、裁判というのは1つの場面であって、制度作りや企業経営などあらゆる場面で生きてくる仕事だと思います。弁護士資格さえあればそれを活かせる場面は社会のありとあらゆる場面にあると思います。

──なるほど。それでは、羽深さんの今後のビジョンについて教えていただけますか。

私の経産省の任期が来年(2022年)の1月までなのですが、その先何をするのかはまだ決めていません。ただ、日本社会がもっとオープンマインドで次々に面白いイノベーションが生まれる社会になることを制度面からサポートしたいと思っています。日本人は特に新しいものを疑いやすいと思うんですけど、それで結局現状維持の方向に力が働いてしまって新しいことが出来ないという問題があると思います。なので、過去の表面的な事象にとらわれず、現状を理屈で説明してそれが通る社会を実現したいと考えています。具体的な方法は色々あると思いますが、どうやったら社会全体のシステムをイノベーションフレンドリーかつ安心安全な社会にできるのかという仕組みの全体像のデザインを研究するというのも良いと思いますし、もう一度実務家に戻ってルールメイキングをするというのもありかなと思います。どこからアプローチするにしても、凝り固まった日本社会の制度を柔軟にして新しいものが当然のように受け入れられて、なおかつ社会全体にプラスのインパクトを与えられるような制度設計をやってみたいなと思います。

──ありがとうございます。最後に、この記事を読んでいる東大生に向けてメッセージをお願いします。

今の時点で自分のやりたいことが明確になっている人はそれに向かって進んで行かれるのを応援しています。一方で、自分の目標が決まっていない人も多いのではないでしょうか。私はそれは当然のことだと思うんですよね。この変化の速い社会では、今ない職業が来年には存在しているかもしれないと考えると、今のうちから人生全体のプランを確定させるというよりは、まず自分の身の回りにあるものの中で自分が一番興味があるもの、それすらも良くわからない場合には将来への選択肢が一番残りそうなものをやるのが良いのではないかと思います。今の段階では視野が狭いというのはある意味当然だと思うので、まずは自分が今見えているものの中で最善だと思うものを選び、進んでいくとまたそこに面白そうな何かはあるはずです。その場その場で選択を繰り返していくと、振り返ると1つの道になっていて、その先の道も見えやすくなっているはずだと思います。そして、それが自分だけのユニークなキャリアに繋がるんだと思います。ですので、今無理をして人生を決めなくても、立ち止まらずに進んでみるのが良いと思います。

一つだけ言えるのは、自分が本当に面白いと思えることでなければその道のプロフェッショナルにはなれないということです。自分が全然興味がないことを惰性でやり続けるのは良くないと思いますし、自分のやっていることが最善の道か自信がなければ、機会をみて大胆に環境を変えてみることも大事です。先例がなければ、自分が第一号になればよいのだと思います。若い皆さんの柔軟な発想や活発な行動力が、凝り固まった制度や価値観に阻まれることがないよう、私も引き続き革新的な制度のデザインや実装に力を入れていきます。

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